最後かもしれない商店をやっている人ってどんな人?
最後かもしれない商店をやっている、豊永レイ子と申します。
福岡生まれ・福岡育ち。そして今年まさに年女の申年36歳、二児の母です。
そんな私が壱岐に移住・起業するに至ったお話を少ししたいと思います。
長らく魚市場で働いていた父と、実家が天ぷら屋の母を持つ私は、
おいしいものに囲まれて育ち、ずっと食に興味を持っていました。
食べ物を作る農家の人にも尊敬の念を抱いていて、憧れは自給自足の生活。
社会に出てからも、就いてきたのは食関連の仕事ばかりでした。
そして、地域おこし協力隊の食担当になったのをきっかけに、
故郷の福岡から壱岐に移住します。
住み始めて初めて気づきました。
壱岐は憧れの自給自足が可能な島なのだと。
おじーちゃんおばーちゃんが、田畑を耕し、海産物をとって、元気に暮らしている。
お米に至っては、自給率 100%。
とにかく食が豊かだから、農産加工品だってとてもおいしい。
しかし、高齢化が平均よりも進んでいて、人口も減っている壱岐。
今の高齢者たちがいなくなってしまうと、手に入らなくなってしまう商品もたくさん…。
考えるだけで胸が痛くなってしまいます。
何とか残したい。何とか継続させたい。
そんな想いで立ち上げたのが
「最後かもしれない商店」です。
現在は、壱岐の男性と結婚し、壱岐で 2 人の子どもを育てながら、
憧れの自給自足生活を送るおばーちゃんになる日も夢見ながら
「最後かもしれない商品」を
「最後にならなかった商品」にするために、奮闘中です。
ちなみに、写真は将来のイメージ画像であって、トラクターの運転はできません(笑)